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【学修】【译经苑】日文版《趣入解脱之门——皈依》

2013-05-10 16:29:37 分类:了解皈依 338次浏览

中文目录

趣入解脱之门——皈依

智敏上师开示

一、进入三宝之门——皈依三宝 ……11

二、生起皈依之因——两个要素 ……14

三、皈依体之保护——基本学处 ……20

四、具足皈依之缘——正受皈依 ……25

五、行持皈依学处——别学共学 ……29

 

日文目次

解脱に入門——帰依

智敏上师よりの開示 

一、三宝に入門――帰依三宝……11

二、帰依の因を生ずる——二つの要素…14

三、帰依体を保護する——基本学ぶ処 ……20

四、帰依の縁を備える——帰依を正式に受け……25

五、帰依を学ぶ処の行持——别学共学 ……29

 

 

(中文)趣入解脱之门—— 皈依   智敏上师开示

(日文)解脱に入門—— 帰依    智敏尊師 開示

 

 

(中文)一、进入三宝之门——皈依三宝

我们要进入三宝之门,首先就是要皈依三宝为入门之法了。我们没有皈依以前,大家都根据自己的烦恼去造业,造了业就在六道轮回里边受苦,这样子反反复复,无始以来我们不知已受了多少苦。如果我们再不想受苦了,那么该怎么办呢?这就必须要依靠三宝了。依靠三宝的力量,使我跳出这个轮回的苦海,这个就叫做「皈依」。

(日文)一、三宝に入門——帰依三宝

私達は三宝の門へ入り、まずは三宝に帰依することを入門の法とします。人間は帰依しないうちは、自己の煩悩に従って業を作り、業を作ることで六道輪廻の中で苦しみを受け、このように繰り返し繰り返し、無始の太古よりどれだけの苦しみを受けたのかも分かりません。もしこの苦から離れ楽を得たいと思うのなら、どうすればいいのでしょうか?これは三宝の力を頼らなければいけません。三宝の力を頼って、輪廻の苦しみの海から解脱することができるのです。これが「帰依」です。

 

 

(中文)「皈依」也是鉴别我们是不是佛弟子的一个标准:是佛的弟子,必须是受了皈依的;不是佛的弟子,就是没有受过三皈依的。不管是气功师也好,其它宗教徒也好,虽然他们也忠诚地信仰他们的教主,信仰他们的教典,但是他们的教主没有佛圆满无边的功德,他们自己还处在生死轮回之中,何能教人出轮回苦?他们的教法,不能净诸烦恼,出生死海,得安乐果,虽能勤修,仍不能脱苦,他们的皈依对象不是三宝,所以这些都不是佛弟子。

 (日文)「帰依」も仏弟子であるかどうかを鑑別する一つの基準です:仏の弟子であれば必ず帰依を受けており、仏の弟子でなければ、三帰依を受けてはおりません。気功師であろうと、その他の宗教徒であろうと、彼らも忠誠心を持って彼らの教主?教典を信仰していますが,彼らの教主は仏陀のような円満無辺の功徳を持っておらず、彼らの教主自身はまだ生死輪廻の中にいます。ですから、輪廻の苦しみから解脱する方法を人に教えられると思うでしょうか?(教えられる事が有り得るでしょうか?)彼らの教えは、諸煩悩を清められず、生死の苦界を出られず、安楽の果を得られず、勤修をしたとしても、相変わらず苦しみから解脱することができません。彼らの帰依対象は三宝ではありませんので、仏の弟子ではありません。

 

 

 

(中文)佛弟子依靠三宝,能够超出一切苦,不但是三恶道的苦,同时看到人天乃至色无色界都有苦,更甚者,生人天还是无常,业果受尽以后仍会下堕,乃至地狱。所以对轮回中一切人天的苦,都要解除,这才是真正有力量的三宝。反之,其它宗教一般认为能生入天堂,就万事大吉了。因此,我们若真正要解除一切苦恼的话,除了皈依三宝,其它是没有一点办法的。 

(日文)仏弟子は三宝を頼り、一切の苦しみから解脱することが出来ます。三悪道の苦しみだけではなく、同時に人天ひいては色無色界の苦しみが見え、更に、人天か、それとも無常に生まれ、業や果報を受け尽した後、変わる事無く落ちてゆき、ひいては地獄まで落ちてしまいます。ですから、輪廻の中一切の人天の苦しみに対して解除すべきで、これこそ正真正銘の三宝です。逆に、その他の宗教は天国に生まれ入る事ができれば、(生まれさえすれば、)万事大吉と一般的に思われています。ですから、私達は本当に一切の苦悩を取り除きたければ、三宝に帰依するしか方法がありません。

 

(中文)由此而论,我们对「皈依」这件事情,要看得慎重一点,不要轻描淡写地,磕个头,递个红包,起个法名就对了,就算皈依了。这样子,一般是得不到皈依的!要得到皈依的体,是有条件的。佛教讲缘起,缘起就是一个法要生起来,有其一定的因和缘,因缘具足,法就生起来,因缘不具足,那怕差一点点,这个法是生不起来的。

(日文))ここから言えば、私達は「帰依」というものに対して、慎重に取り扱うべきであり、軽々しくはしないこと、額ずいたり、お年玉をお渡したり、法名を付ければいいと、これで帰依になると思わないこと。このようなことをすると、一般的には帰依を得られません!帰依の体を得るため、条件があります。仏教は縁起を重視しており、縁起とは一つの法を引き起こすため、一定の因と縁が必要となり、因縁が備わって法が生じ、因縁が備わっていなければ、例え少し足りないだけでも、この法を生じる事ができません。

 

 

(中文)那么,我们说要皈依三宝,这皈依三宝的体(无表色),它生起的因缘是如何呢?依佛教言,皈依有皈依的因,即自己要发起皈依的心,还要有皈依的缘。什么是皈依的缘呢?第一要有如法的师父,设如法的坛场,还有,如我们发的纸上写的,皈依仪式,迎请三宝,忏悔业障等等,这些都是皈依的缘。如果因缘具足了呢,当然,皈依体就会生起。这中间最不可忽视的一个,就是皈依的因,自己一定要发这个皈依的因,自己若没有发心的话,纵使缘再好,皈依体还是生不起来的。

(日文)それでは、帰依三宝についてお話しします。この帰依三宝の体(無表色)が起した因縁はどうなっているのでしょうか?仏教の言うところでは、帰依には帰依の因があります、即ち自己の心から帰依しようという思いを発起することです。それから、帰依の縁も必要です。帰依の縁とは何でしょうか?第一は如法なり(仏法の教え通りに行持)の師匠が要り、如法(仏法の教え通りに)の壇場を設置し、また、配布した紙に書かれたように、帰依儀式、三宝を奉迎、業障を懺悔など、これらはすべて帰依の縁です。もし因縁が備わっておれば、当然、帰依の体が生じて来ます。この間でもっとも無視出来ないのは帰依の因であり、自己は必ずこの帰依の発心をしなければなりません。もし自己にこの発心がないのなら、縁がいくらよくても、帰依の体は生じて来ません。

 

 

(中文)所以我们对每一位来求皈依的人,先要把皈依的内涵跟你们讲清楚,使能真正得到皈依的体和利益。尽管授皈依的地方很多,是不是能得到真正皈依的,还不敢说,主要看你自己皈依的心发了没有。

(日文)ですから、私達は帰依を求めに来た一人一人に対して先に帰依の内包をはっきり教え、正真正銘の帰依の体及びその利益を得させます。帰依を授与する処は沢山ありますが、本当の帰依を得られるかどうかは敢えて申しません(言えませんが)。大切なの(主な要素)はあなた自身から帰依の心が発したかどうかです。

 

 

(中文)二、生起皈依之因——两个要素

那么,什么叫皈依的心呢?最起码的,对于这个,我们学过的《俱舍》里边讲到的,六道轮回中三恶道的苦,地狱、饿鬼、畜生之苦,地狱、饿鬼一般人看不到,畜生之苦,大家都知道,黄牛为人干了一辈子活,挨鞭抽打不说,老了还被杀掉来吃。活的猴子把脑壳打开,用开水酱油辣椒浇进去,就吃,算是名菜。一盘活的虾子,一阵开水浇下去烫得虾子颠狂乱跳,用来供膳。还有「全骡上市」,把骡四腿夹住,在骡身某部浇开水,烫熟了,割下,端给顾客享受,而骡还在厨房里拼命嘶叫——惨!这种恶道苦,《论》、《瑜伽师地论》等都讲得很多,我们要生起恐怖之心,害怕自己堕入恶道受苦之心。

(日文)二、帰依の因を生じる―――二つの要素

それでは、帰依の心とは何でしょうか?少なくとも、これについては私たちが学んだ《倶舎》の中にこういう話があります:六道輪廻の中には三悪道の苦、地獄、餓鬼、畜生の苦があります。一般の人には地獄、餓鬼は見えませんが、畜生の苦は皆さん御存知だと思います。赤牛は人に一生涯働かされ、鞭打たれても何も言わず、老後に殺されて食べられてしまいます。生きている猿の頭の鉢を開けてお湯?醤油?唐辛子を入れ、そして食べる。これが有名な料理です。熱湯を一皿の生きている蝦の中に注ぎ、蝦が狂おしく飛び跳ね、人に食べられてしまいます。それからまた「ラバが市場に出回る」と言われるものがあり、ラバの四足を縛り、ラバの体のあるところに沸いているお湯を注いでから肉を切り取って、お客様に給仕します。ところが、ラバはまだ台所で死に物狂いで嘶き叫ぶ―――惨いことを(悲惨)!こんな悪道の苦は、《論》、《瑜伽师地论》等に沢山述べられています。私達は恐怖心を生じるべきです。悪道に落ち、苦しい目に遭うことを怖がる気持ちを起こすべきです。

 

(中文)再进一步,对整个轮回之苦都生起恐惧之心。再进一步呢,对一切众生堕在轮回受苦,我们要生起大悲心、菩提心,要把他们全都救出来,都不受苦。

(日文)更に、あらゆる輪廻の苦に対して恐怖心を生じるべき。それ以上又更に、輪廻に落ち、苦しんでいる一切衆生に対して、苦しみの海から解脱するために、私達は大悲心、菩提心を起し、彼らを全部救い出します。

 

 

(中文)这就是三种发心。第一种,最初对三恶道的苦心生害怕,希望解脱恶道之苦,能得人天暇满之身的,这是下士道,属于低层次的。第二种,对轮回六道,包括人天,感到都是苦,不希望再受这轮回之苦而求解脱三界的,这是中士道,属于中等层次的。第三种,看到一切众生都在受苦,不但自己要脱离轮回之苦,要把一切如母有情都救度出离三界,都离开这个轮回之苦,这是上士道,发菩提心,行菩萨行,属最高层次。

(日文)これは三つの発心です。第一種は、最初は三悪道の苦に対して心から怖がっていて、悪道の苦を解脱しようと希望し、人天暇満の人身を得てほしい、これは下士道である、低階層に属されています。第二種は、六道輪廻に対して、人天を含め、全てとも苦を感じ、この輪廻の苦を受けたくなくて、三界から解脱を求め、これは中士道である、中等階層に属されています。第三種は、あらゆる衆生とも苦を受けていることを感じて、自己が輪廻の苦から解脱するだけではなく、あらゆる母のような有情を救い、皆とも三界を出離させ、皆ともこの輪廻の苦から離れてもらい、これは上士道である、菩提心を起し、菩薩行を行う、最高階層に属されています。

 

 

(中文)所以,皈依的前提,首先是要看到苦,想到自己或父母有情受三恶道的苦及轮回六道的苦,要生起恐怖心,这是第一个条件。如果根本不生恐怖心的话,感到无所谓(愚痴!),那么这个求救的心也没有了,就是说皈依的心也就没有了。

(日文)ですから、帰依の前提として、まずは苦が見えることです、自己或は親方有情が三悪道の苦及び輪廻六道の苦を受けていることを思いながら、恐怖心を生じる、これは第一条件である。もし根本的には恐怖心が生じなければ、どうでもよいという気持ちであれば(愚痴!)、それなら、この救いを求める気もないので、つまり帰依する心もありません。

 

 

(中文)什么叫「皈依」呢?皈依就是求救,依靠一个崇高有力的对象,求他来救度我们,这个就是皈依的心——动机。如果我们自己没有恐怖,没有害怕的事,那还要依靠谁呢?当然,就不需要依靠了。所以说,首先要生起害怕受苦的恐怖心,对三恶道生恐怖心,继而对轮回六道生恐怖心,再进一步对一切如母有情在轮回中受苦,生恐怖心,发起救拔之心。我们自己害怕受苦,推而知之,一切有情都害怕受苦,因此设法使他们都脱离苦。这三个心虽然层次不完全相同,但是这个生起的恐怖之心是一样的。这个生起的对三恶道或者对轮回之苦的恐怖之心,是皈依的第一个要素。

(日文)「帰依」とは何でしょうか?帰依とは救いを求め、崇高有力な対象に頼って、私達を救ってくれることを願う、これは帰依の心である――――動機。もし私達自分自身から恐怖、恐れることが感じしなければ、誰に頼れば良いでしょうか?当然、頼る必要も無くなります。ですから、最初は苦しみに恐怖心を起し、三悪道に恐怖心を起し、続いて輪廻六道に恐怖心を起し、更にあらゆる母の様な有情が輪廻に、苦しい目にあうことに対して恐怖心を起し、救済心を起こせ。私たち自己は苦しい目にあうことに怖がっていることによって、あらゆる有情が苦しい目にあうことに怖がっていることを分かって来ます、ですから、何とかして皆に苦しみから離れさせます。この三つの心のレベルが完全に同様ではありませんが、引起こしたこの恐怖心は同じです。この引起こした三悪道或は輪廻の苦に対する恐怖心は、帰依の第一要因である。

 

(中文)单是生起了恐怖之心,够不够?还不够。生起了恐怖之心之后,我们要进一步追求如何解决这个恐怖呢?这就是说依靠谁来救拔我们的苦难呢?唯一的方法,就是依靠三宝!除了依靠三宝,此外是没有第二个能救度我们的苦难的。试看历史上那么多宗教,那么多哲学,真正能自己脱离苦难的,只有一个人——就是二千五百多年前印度的释迦牟尼佛。佛洞悉宇宙真理,所以他自己真正地解脱了一切苦难,并且断绝了苦难之因,这是佛宝。佛陀把自己脱离苦难的方法,详细地说教给我们,这是法宝。依照佛陀所说之法,如法修行而得证验的,这就是僧宝。我们只有依靠这三个救命之宝,才能获得救度。所以说,我们若要解决苦难的话,若要对苦难所生恐怖之心彻底解除的话,唯一的道路,就是皈依三宝——皈依佛,皈依法,皈依僧。这三个宝,缺一不可,而实际上三者是联系成一体的。

(日文)単なる恐怖心を起し、それで足りるのでしょうか?まだ足りない。恐怖心を起してから、この恐怖を如何に解決するのかを追求すべきです。即ち誰に頼って、私たちを苦難から救出して頂けるのでしょうか?唯一の方法は、三宝に頼ります!そのほかに私達を苦難から救出してくれるものはいません。歴史をご覧ください、あんなに多くの宗教の中に、あんなに多くの哲学の中に、本当に自己が苦難から離脱出来たのは、1人しかいませんでした。―――2500年前インドの釈迦仏でございます。仏は宇宙の真理を知り尽くしたので、自ら本当に一切の苦難から解脱することが出来ました、そして、苦難の因も断絶されました、これは仏宝です。仏陀は苦難から離脱した方法を詳しく説教して頂きました、これは法宝です。仏陀の教えに基づいて、その法の通りに修行し、検証を得たのは、僧宝であります。私たちはこの三つの救命の宝に頼り以外に、救いを獲得することが出来ません。ですから、私たちは苦難を解決しようであれば、苦難より生まれた恐怖心を徹底的に解除しようであれば、唯一の道は、三宝に帰依―――仏に帰依、法に帰依、僧に帰依。この三つの宝は、一つ欠けでもいけません、実際この三者は一体物となっています。

 

 

(中文)总的归纳起来,我们要生起皈依的心,就是要有这两个要素:一个是对恶道、对轮回之苦生起恐怖之心;第二个呢?如何解决这个恐怖,我们要求救于谁才能得救呢?唯一的是求三宝——依靠三宝。这二个心有了,才算是皈依之心有了。

(日文)総じて、私たちは帰依の心を起こす為に、この二つの要素が持たなければなりません:一つ目は悪道、輪廻の苦に対して恐怖心を生じること;二つ目は?この恐怖を如何に解決するのでしょうか?唯一の方法は三宝を求める―――三宝に頼ります。この二つの気持ちが持っていれば、やっと帰依の心があると言えます。

 

 

(中文)皈依的缘呢,在三皈仪式上都写明白了,并且也预先讲过的。先是迎请十方三宝降临为作证明,二忏悔自己过现业障,去除障碍。又皈依所要说的羯磨词,乃至最后回向,依此认真、明白地做了,就能得到皈依。此外在皈依前,僧众为你们念的心经及回遮偈,也是驱除皈依中的魔障,使皈依能顺缘得到的一个缘起。

(日文)帰依の縁については、三帰依儀式上には、はっきり載っています、そしてこの前にも話しました。証明して頂く為、先に十方三宝の来現を奉迎して、そして過去現在の業障を懺悔し、障碍を取り除く。尚、帰依からおしゃっている羯磨辞という物ひいては最後の回向、これに基づいて真面目に、わかるようにすれば、帰依を得られます。また、帰依前に、僧侶達より貴方たちに念じさせて頂いた般若心経及び回遮偈も、帰依中の妨げを駆除させ、帰依に順縁を得させる為一つの縁起であります。

 

 

(中文)皈依三宝,皈依体得到之后,就是入了佛的门,为佛弟子了。那些以前在佛面前发了誓愿护持佛弟子的护法菩萨也就在你身边护持你了。但是,假使自己皈依的心没有发起来,尽管你参加了极隆重的皈依仪式,皈依体是没有的。表面上是皈依了,实际上佛教的门并没有进去,在佛教里边也没有你这个人,仍是个门外汉,当然护法菩萨也就不管你了,因为他们是专门护持佛教、护持依佛教修行的佛教徒的,对门外汉,是没有责任来保护的。

(日文)三宝に帰依、帰依体が得られました後、仏門に入ったということになります、仏の弟子になりました。昔仏の前に仏弟子を護持することを誓願した護法菩薩(仏法を護持する菩薩)も、貴方の回りで護持しています。但し、もし自己から帰依の心を起こしていなければ、盛大な帰依式典に参加したとしても、帰依体はありません。表面的には帰依したと見えるのですが、実際には仏教の門に入っていません、仏教の中には貴方のような人はいません、相変わらず門外漢ですから、当然護法菩薩(仏法を守る菩薩)も見守ってくれません。護法菩薩(仏法を守る菩薩)は専門に仏教、仏教を修行している仏教徒を護持しますので、門外漢として、護持する責任がありません。

 

 

(中文)所以,我们自己一定要检查,不论过去皈依了的,或者现在要皈依的,这个皈依的心生起没有?(当然已皈依过的,还要检查羯磨文对了没有等等)没有生起,皈依体是得不到的。今天大家要皈依了,这个事情一定要跟你们讲清楚。这个皈依的心非常重要,而且一定要你们自己生起来的,其他的缘呢,我们可以为你们代办或帮助,发心非要自己不可。

(日文)ですから、私たちは是非自己検査をすること。過去帰依したであろうか、或は現在帰依しようであろうか、この帰依の心を起こしたかどうか?(当然帰依したのも、羯磨文を正しく言いましたかどうか等を検査するべきです)まだ起してなかったら、帰依体は得られません。今日、皆さんは帰依して行きますので、この事情を皆さんにはっきり話をします。この帰依の心は最も肝心なものです、そして必ず自分で起こさなければなりません。その他の縁については、こちらで取扱うか、或は手伝いすることが出来ますが、この帰依の心は、ともかく自己で発起しなければなりません。

 

 

(中文)世界上有各种宗教,种类很多,包括气功师(鬼神教),信仰它们的,有没有用处呢?信仰它们之后,也可以除去世间上某些苦难。譬如穷困啦,或病难啦,鬼扰啦等等,在一定范围内,也能解除,因为他们也在过去世培了些福,修了一些禅定,在现世有一定的威势,或一定的神通(气功师一般是鬼神报得通,非禅定修得之通),可以做一些小小救苦的事情。但是他们不懂业果,不知忏悔去消除业障,根子没有除,所以他们所做的,只能是挖肉补疮,这边问题好像解决了,但不久又翻了,或那边又出新的毛病了,因为业力仍存在着嘛。而且他们的教主,本身就没有解脱生死轮回之苦,一旦福报享完了,还得六道流转,在轮回里受各种之苦,甚至恶道之苦,也是避免不了的。所以如果我们依靠他们,是解决不了真正苦难的问题的。只有皈依三宝,才能解脱世间一切苦难。从这点来说,我们能够皈依三宝,实在应该感到是最大的幸运。

世の中に、各種の宗教が存在しています、種類は多く、気功師(鬼神教)を含め、それらを信仰して、役に立つでしょうか?それらを信仰してから、世間上にある苦難を除去することが出来るのですが、例えば貧困であったり、病難であったり、鬼に邪魔されたり、(日文)等等、ある一定の範囲内で、解除も出来ます。これらは過去の世に、多少の福を培植してきた、多少の禅定を修行してきて、現世で一定の威勢を持っています、或は一定の神通があります(気功師は一般的に鬼神報より得た神通である、修禅定より得た神通ではありません)、少し救済することが出来ます。但し、彼らは業果をわからず、懺悔して業障を除去ということを知らず、根を取り除くことをしていません。ですから、かれらがやっているのは、肉を割いて疵を補う、この辺の問題を解決したそうですが、間もなく、ひっくり返して、或はあちらで新しい問題が又出てしまいました、なぜならば業力が相変わらず存在しているわけです。しかも、彼らの教主自身はまだ生死輪廻の苦から解脱されていませんので、一旦福徳果報よりの享受が完済したら、相変わらず六道流転に参り、輪廻の中に各種の苦しみを受け、ひいては悪道の苦も避けられません。ですから、あれらに頼って本当の苦難問題を解決することができません。三宝に帰依する以外に、世間の一切苦難から解脱することが出来ません。ここから言うと、私たちは三宝に帰依出来るという事は、本当に最大の幸運だと感じるべきと思います。

 

 

(中文)三、皈依体之保护——基本学处

 我们皈依三宝之后,对其他的宗教的教主或神职人员,能不能恭敬他们呢?他们也是劝人为善的么。西藏一位大德,帕邦喀仁波卿曾说:对于天神,或外道教主等等,莫说去皈依,依靠他,就是以崇敬的心态,对他们起了恭敬心,合个掌,皈依体就会失掉的。所以说我们皈依三宝之后,一定要注意,对一切天神,什么神庙、教堂等等,决不能向他们五体投地地礼拜,或求什么愿的,乃至起个恭敬向往仰慕之心也不行。否则,就会失掉皈依体,也就不成为一个佛弟子了。本来很不容易才能得到的皈依体,却这样很轻易地就失去了,岂不太可惜!所以说,一定要注意。

(日文)三、帰依体の保護―――基本学処

私たちは三宝に帰依した後、その他の宗教の教主或は神職人員に対して、恭敬しても良いでしょうか?彼らも善を勧めているわけですが、チベットである大徳がこうおしゃっています:天神、或は外道教主等に対して、帰依、頼りと言わず、ただ、崇敬の心を持って、合掌すると、帰依体が失ってしまいます。ですから、三宝に帰依した後、是非御注意してください、一切天神、神社、教会堂等に対して、敬って五体投地してはいけません。或は願いを求めたり、わずかの恭敬憧れ敬慕の心を起こしてもいけません。そうじゃないと、帰依の体がなくなります、仏の弟子にもなれません。そもそも非常に大変でやっと得た帰依体が、このように容易に失ってしまって、とても残念ではないでしょう。ですから、是非注意してください。

 

 

(中文)那么对这些神、主和神职人员,我们对他们的关系该如何呢?只能是朋友与朋友之间,互相帮忙,互相尊重的关系,不能对他有崇高向往仰慕恭敬的心。假如说,到医院里去看病,那个医生是信耶稣教的,有的人就问了,能不能请他看病呢?这个问题不大,你是付了钱的,请他看病,他是依医学知识给你治病打针、开方吃药等,这是朋友之间的关系,大家礼尚往来,朋友之间的打交道,没有关系的。但不能有对他们所信的教,有依靠求救的心。对练气功的医生亦同样。但你如果对气功师医生,于他的气功神通起了信仰,请他以气功替你治病,如果对信仰耶稣教的医生,相信他的教义教主了,请他给你做什么祷告了,以这种方式替你治病,不行了,那皈依体就会破坏了!这个问题,也是要注意的。

(日文)それでは、神、教主及び神職人員に対して、私たちとして、どのような関係にしたら良いでしょうか?単なる友達として、相互手伝いあって、尊重しあいという関係しか出来ません。崇高、憧れ敬慕恭敬の心を持ってはいけません。例えて言えば、病院へ診察にいった時に、あの医者はキリスト教を信じています。ある人からそういう質問が出てきます:彼に診察してもらえますか?これはあまり問題じゃありません、お金を支払って、診察してもらうので、彼は医学知識を従って注射、薬等の治療を提供してくれます、これは友達という関係です、友達としてお互いに謙譲礼儀であり、大丈夫です。ただ彼らが信仰している教に対して、頼り救済の心を持ってはいけません。気功をやっている医者に対しても同じ、もし気功師医者に対して、彼の気功神通に信仰を起こした場合、気功で治療をしてもらう、もしくはキリスト教を信仰している医者に、彼の教義教主を信じて、彼に何の祈りをしてもらうとか、こういう風に治療すれば、大変なことになります、帰依体が破壊されてしまいます!この問題も要注意です。

 

 

(中文)此外,就是在皈依之后,还有许多事情必须要注意的。首先是对三宝的功德,要好好地去观察,如佛陀的身、口、意的功德,佛陀度生事业的功德,还有法宝僧宝的功德,当然这有很多,现在一下是讲不完的。一般皈依之后,就要亲近具德师,听闻正法,如理作意,法随法行。慢慢地听闻,积累对三宝的功德的认识,经思惟后产生定解,那么对三宝的真实信心和恭敬心,就会更有力的生起来,然后在身、语行动就会很自然地表现出来。

(日文)これ以外、帰依した後に、また注意しなければなりません処が沢山あります。まず三宝の功徳に対して、よく観察すること,例え仏陀の身、口、意の功徳、仏陀の衆生を救い事業の功徳、それと法宝僧宝の功徳、当然これは沢山あるですが、今一括には言い切れません。一般には帰依した後、善知識を頼って、正法を聞いて、理の通りに意識して、法のそのものに基づいて法のそのものを行います。ゆっくり聞いて、三宝の功徳に対しての認識を積んで、思惟により定解を起し、それから三宝に対する正真正銘の信心及び恭敬心を、もっと有力的に起こせます、そして、身、口、行動から自然的に現れてきます。

 

 

(中文)皈依有三种:对三恶道的苦难感到恐怖,而求靠三宝来解除的,这样子的皈依,是下士道士夫的皈依。对整个生死轮回的苦痛,生起恐怖心,皈求三宝来解除轮回之苦的,是中士道士夫的皈依。对整个有情在轮回中受苦,心生不忍,感到恐怖,而皈投三宝,希望他们都能解脱轮回,得成佛的安乐的,是上士道士夫的皈依。不论是下士道、中士道、上士道,只要发了恐怖心,而希求三宝是唯一能救脱苦难的,都能得到如法的皈依。

(日文)帰依について三種類分かれています:三悪道の苦しみに恐怖を感じ、三宝を求めて取り除いて頂きます、このような帰依は下士道士夫の帰依である。あらゆる生死輪廻の苦しみに対して、恐怖心を起し、三宝を求めて輪廻の苦を取り除いて頂くのは、中士道士夫の帰依である。あらゆる有情が輪廻に苦しい目にあうことに対して、恐怖を感じ、三宝に帰依し、輪廻から解脱できると思うなら、仏になって安楽を得て、これは上士道士夫の帰依である。下士道、中士道、上士道を問わず、恐怖心を起し、そして三宝に唯一の苦難を解脱することを求めているのが、如法の帰依が得られます。

 

 

(中文)再者,从因果两面来说,皈依又可分为两种:一种是因的皈依,一种是果的皈依,而重要的是果上的皈依。为了要解脱自他,脱离生死轮回或恶道之苦,求三宝救度我们,这是因的皈依。为了要解脱自他,出离生死轮回或恶道之苦,而发心赶快使自己证到三宝的果位,这样的皈依,叫果的皈依。我们的要求是通过因的皈依,而达到果的皈依。果的皈依使自己证到三宝的功德,能够广度一切苦难有情,此则与发菩提心极为相似了。正确的修皈依,先应思惟皈依因,思惟自他轮回三有包括恶趣之苦,及确实知道三宝具有救护一切有情出离一切险恶苦难的能力。皈依之究竟意趣,是为使自己生起能断除自他一切有情烦恼习气之证德,从而解脱自他一切有情之苦报。认识「佛」是引导我们修行的导师,「法」是正使我们脱离苦难的方法(所修之道)。「僧」是帮助我们修道中的良伴。以这样的猛力信心而修皈依。

(日文)なお、因果両面から言うと、帰依は二種類がある:一種類は因の帰依、あと一種類は果の帰依。その中に重要なのは果の帰依です。自他から解脱する為、生死輪廻或は悪道の苦しみから離脱する為、三宝に救いを求める、これは因の帰依である。自他を解脱する為、生死輪廻或は悪道の苦しみから離脱為、早く自分が三宝の果位を見つけて、証させという発心を起こします。このような帰依は果の帰依と言います。私達の要求としては、因の帰依を通じて、果の帰依に到達する。果の帰依は自分が三宝の功徳を証させ、あらゆる苦痛な有情を救えます。これは菩提心を起すこととよく似ている。正確的な帰依を修めることは、まず帰依の因を思惟すべき、自他輪廻三有及び悪道の苦しみを思惟し、そして、確実に三宝はあらゆる有情を一切険悪苦難から離脱させる能力があると認める。帰依の究境意趣は、自分が自他一切有情煩悩?くせを取り除くという証徳を生じさせ、自他あらゆる有情の苦報から解脱させてくれます。「仏」は、私達修行を導いていただく指導者であり、「法」は、苦難を離脱させていただく方法であり、「僧」は修道中に助けていただくいい伴いであります。このような力いっぱいの信心を持って帰依を修行します。

 

 

(中文)还有一点必须要注意的,有些人以前不知道,学过气功外道的,那么,要皈依的话,一定要把以前学过的外道那一套彻底放下,完全断掉,不能再拖泥带水的夹杂在佛法里边。否则的话,是得不到皈依体的。不论头磕得再多,供养的红包再丰,皈依体是无法生起来的。

(日文)もう一点を注意しなければなりません。ある人は以前知らずに、気功外道を学んだことがあり、それでは、帰依する場合、必ず以前学んだ外道のものを、徹底的に放下しなければなりません、完全的に断つこと。ぐずぐずと仏法の中に挟まれてはいけません。そうしないと、帰依体が得られません。いくら叩頭をしても、供えが手厚くても、帰依体を生じることが出来ません。

 

 

(中文)还有以前虽没有练过气功外道,皈依三宝之后,有什么因缘,譬如说做生意的并没有发财,或者原有病的病并没有好,他就怀疑皈依三宝到底有没有灵感,疑心一起,遇到了外道,甚至信外道去了,练气功,或者求外道做祷告去了,这样子做,果报是很严重的。《地藏十轮经》里有一段文,「谓若有人,或受三皈,或受五戒,于佛法僧,而起疑心,或皈外道,以为师导,或执种种若少若多吉凶之相,祠祭鬼神……如是名为非根本罪,亦非无间,而生极重大罪恶业,近无间罪。」所以说,皈信了三宝之后,绝对不能再去盲目信从外道修什么外道气功之类的法了。近无间罪,就是说这个罪与无间罪是相近,受的苦报也是和无间地狱差不多的。

(日文)また、以前は気功外道を学んだことがありませんが、三宝に帰依した後、なんらかの因縁があって、例えて言うと商売をやっている人が儲かっていない、或は元の病気は治っていないとか、三宝を帰依することによって霊感あるかどうかを疑う、疑心が起すと、外道に遇って、ひいては外道のことを信仰するようになってしまいました、気功を練習したり、或は外道に祈りをささげて行ったり、こういうふうにやると、果報はとても厳重的です。《地蔵十輪経》に「もしある人、或は三帰依を受け、或は五戒を受け、仏法僧に対して疑心を起し、或は外道に帰依、導き指導者にする、或は種種多少吉凶相を持つ、鬼神を祭祀する…如是名は非根本罪、非無間も言え、極重大罪悪業を生じし、近無間罪。」という経文があります。ですから、三宝に帰依した後、再び外道を信服して、なんの気功外道の法を修めることを絶対してはいけません。近無間罪とは、この罪は無間罪と相似、受ける苦報も無間地獄に近いです。

 

 

(中文)有的人信了三宝,总希望皈依之后立即见效,譬如说他身有病苦,皈依三宝之后,总希望病就很快地消除了。但是实际上皈依三宝,就要明白法宝里的业果缘起。病从何来?大多是过去杀业,伤害众生,不敬三宝,毁谤三宝,不孝父母等等原因而来。皈依三宝之后,得到了加持力,已使你病减轻,依靠法宝,明白善恶业果,断除杀业等害病之源,佛菩萨又慈悲告诉我们很多忏悔方法,依之而行,精勤不撤,必能见效。

(日文)ある人は三宝を信じ、帰依後すぐ効き目が出るといつも希望しています。例え言うとお体に病苦があって、三宝に帰依後、病気を早く除去させを希望します。但し、実際に三宝を帰依することによって、法宝中の業果縁起を理解すること。病気はどこから起したのか?大勢の人は、過去の殺業、衆生を傷害、三宝を不敬、三宝を誹謗、親方を不孝等の原因から起したわけです。三宝に帰依した後、加持力が得られて、そして病気を軽減されます、法宝を頼って、善悪業果を理解して、殺業等病気その源を取り除く、仏菩薩様から慈悲的に懺悔方法を教えて頂いて、それに基づいて実施し、精勤すれば、必ず効き目が出ます。

 

 

(中文)皈依三宝,核心是法宝,首先是要明业果。业果是客观的规律,掌握了业果,就知道苦果是由烦恼造恶业而来,乐果是由善心造福业而来,无漏解脱果,是从修无漏道得离系果而来。这样你思想行动就有了标准,自行取舍,善的、无漏的要取;恶的要舍,是非常理智,合乎科学的,不是盲目迷信。求鬼拜神,希求奇迹,照这样去做,是解决不了问题的。

(日文)三宝に帰依、核心は法宝です。先ずは業果を分かること。業果は客観の規律である、業果をマスターすると、「苦果は煩悩が悪業を作ってから来ます、楽果は善心が福を作ってから来ます、無漏解脱果は、無漏道を修行し、それで離係果が得られる」ということが分かって来ます。このように、思想行動の基準が出てきます、自分で取捨選択することが出来ます、善の、無漏のものを取り、そして悪のものを捨てる、それはとても理性的科学にかなう、盲目迷信ではありません。鬼に頼って、神にぬかずいて、奇跡を求める、このまま続くと、問題の解決はできません。

 

 

(中文)四、具足皈依之缘——正受皈依

 前面我们已经详细讲了皈依之因,略讲了皈依之缘,因缘和合就产生皈依体。这里我们再把皈依的缘补充一下。

(日文)四、帰依の縁を備える――――帰依を正式に受け

この前帰依の因を詳しく説明しましたが、帰依の縁については少しだけ説明しました、因縁和合により帰依体を生じます。ここでは、帰依の縁について補充致します。

 

 

(中文)前面说缘,我们代你们准备好了,首先是如法的坛场,如法的皈依师,合格的皈依师是要清净持戒的比丘,戒腊高精通律藏或三藏的更好。还有一些,请你们把皈依仪式拿出来看,在皈依之前,要迎请十方的三宝,临降到现前这坛场里来,证明你们受皈依,因为皈依三宝,不只是皈依某个地方,或某个世界的三宝,而是皈依尽虚空界十方所有的佛法僧三宝,都是我们的师父,所以在皈依的时候,要迎请他们来此作证明。有人怀疑,我们这个殿,仅这么大,十方的三宝都来,哪能容纳得下呢?这点请放心,地方大小是凡夫分别心而有的,就理上来说「一多大小平」,芥子可纳须弥,坐微尘里能转大法轮,理事无碍,这是不思议境界,不必多疑了。

(日文)この前話した縁について、貴方たちの代わりに準備をしました、先ずは如法の壇場、如法の帰依師。合格的な帰依師は清浄持戒の比丘、戒蝋が長く、律蔵或は三蔵を精通するのはもっと良い。尚、帰依式典を出して御覧ください。帰依する前に、十方の三宝を奉迎します、現在この壇場に來現させて頂き、貴方達が帰依をすることを証明して頂きます。三宝に帰依とは、ある所に帰依する、或はある世界の三宝に帰依するではなく、虚空に存在していることごとく(尽虚空)十方のあらゆる仏法僧三宝に帰依することである。十方のあらゆる仏法僧三宝は全部私達の師匠である。ですから、帰依する時に、十方の三宝を奉迎して来て証明して頂きます。ある人はこういう疑いがあります:我々のこの殿は、これくらいの空間しかないのに、十方の三宝が全部来られたら、収容することができるでしょうか?このことについては御安心ください、地方の大きさは凡夫の分別心によりあるので、理から言うと、「数数大小平」である。マスタードが須彌を収納、微塵に大法輪を転ずることが出来、理事無碍、これは不思議な境界です、疑う必要がありません。

 

 

(中文)迎请降临之后,我们要在十方三宝面前忏悔。无始以来,我们造了很多的罪,起过很多的烦恼,所以我们的身、心都是脏的。身外的脏,可以用水洗干净,起烦恼,造恶业的脏,这不能用水洗净的。过去印度有一种外道,认为到恒河里去洗身,河水能把自己罪业洗干净,这是一种愚昧迷信的想法,真正要把罪业除掉,必须依佛教的正法来如法的忏除。

(日文)奉迎して頂き、來現後、私達は十方三宝の前に懺悔すべき。始めもない以来、私達は沢山の罪を作って、沢山の煩悩を起してしまいました、ですから、私達の身、心とも汚いです。身の外部の汚れは、水で清められます、でも起した煩悩、悪業を作った汚れは、水で洗浄することはできません。過去インドにある外道がいます、ガンジス川にお体を洗ったら、川の水には自己の罪業を清められと思われています。これは愚昧迷信な考えです。本当に罪業を取り除くなら、必ず仏教の正法にて如法の懺悔をします。

 

 

(中文)什么叫忏悔?过去造的罪,认识到是不好,也知道将来要入恶趣受苦的,痛切追悔认错,以后发心誓不再犯,这个心,就叫忏悔的心,有了忏悔的心,求佛菩萨慈悲加持,把自己罪障洗涤干净,这是可能的。如果忏悔心没有,不知罪、不知堕,也不防护未来不犯,那这罪是洗不干净的,后来只有自己受苦。现在我们要受皈依,而我们的身、心是那么的脏,成为障碍,这皈依体就很难生起,即使生起也是成为变质,不好的了。所以说,在我们皈依之前,一定要把自己的身心洗涤干净。怎么洗呢?不是用一般的水,或恒河的水,而是用忏悔的水洗。要忏悔罪障,对过去做的坏事恶业,自己认识错误,以后绝不再犯。在佛菩萨、三宝面前,至诚三次忏悔,求三宝加持我们,把身上的,心里的罪障洗个干干净净,然后皈依体就能够如法地生起来。打个譬喻,假使烧了最好的饭菜,请你用膳,但碗不洗,舀过大粪的,那么再好的饭菜,吃起来都是臭的;如果这碗是舀过砒霜毒药的,不洗净消毒,则那怕盛的是甘露妙膳,也会把人毒死。所以在正式皈依之前,一定要先忏悔。

(日文)懺悔とは何でしょうか?過去に作った罪に、悪かったと思い、将来悪道へ苦報を受けることも分かる、痛切に過去の間違いを悔いて、今後再犯しませんように誓って、改める決心をする、このような心は、懺悔の心と言います。懺悔の心があれば、仏菩薩慈悲の加持を求めて、自己の罪障を洗浄して頂くことは可能です。もし懺悔の心がなければ、罪を知らず、堕ちるのを知らず、未来不犯も守らず、それでは、この罪を洗浄することができません、今後自己が苦しい目にあうしかありません。現在私達は帰依を受け、但し私達の身、心はそれ程汚い、そして障碍になって、この帰依体を生じることが非常に難しくなります、生じしても変質します、悪い物になります。ですから、帰依する前に、必ず自己の心身を洗浄すること。どう言うふうに洗浄すれば良いでしょうか?一般の水、或はガンジス川の水ではなく、懺悔の水で洗浄すること。罪障を懺悔、過去の悪行に対して間違ったことを認めて、今後絶対再犯しません。仏菩薩、三宝の前に、真心に三回懺悔し、三宝の加持をお願いして頂く、お体の、心の罪障をきれいに洗って頂く、それから、帰依体は如法の通りに生じることが出来ます。喩をすると、最も良い料理を作って、お召し上がって頂いて、ところが、人糞を酌んだことがある、洗っていない茶碗を使う、それでは、どんなにいい料理としても、食べる時、臭いにおいがします。もしこの茶碗は砒素毒薬を酌んだことがあれば、人が毒殺されます。ですから正式に帰依する前に、必ず懺悔すること。

 

 

(中文)正受皈依,要三白羯磨,羯磨词就是「尽形寿皈依佛,尽形寿皈依法,尽形寿皈依僧」。说三遍,叫三白羯磨。在白羯磨词时,皈依师白(说)的时候,耳朵一定要听清楚,所以皈依不能写个信就算皈依,一定要人现前,话要听清楚,它的意思要懂,想清楚。而且自己说时,嘴里一定要说清楚。有的人嘴巴动了一下就算说了,没声音,或虽出声而含含糊糊,轻轻地不清楚,都不能得皈依体的。一定要自己嘴很清楚,很有力地说了,说三遍,皈依体就生起了。这要注意、很重要。

(日文)正式に帰依を受ける時に、三羯磨(かつま)を云う(話します)、羯磨詞とは「尽形寿(ぎようじゆを尽く)帰依仏、尽形寿帰依法、尽形寿帰依僧」。三回言うと三白羯磨である。羯磨詞を言う時、帰依師が白(言う)時に、耳は必ずはっきり聞こえるように、ですから、帰依は手紙を書いて帰依になれることじゃありません。必ず本人がこの場に来て、話をはっきり聞いて、意味がはっきり分かって来ます。そして自分が言う時に、口からはっきり言わなげればなりません。ある人は口が動いて、言ったと見なしてしまう、声がない、或は声が出たが、あいまいで軽くてはっきりしない、これは帰依体が得られません。必ず自分の口からはっきり、力を持って言います、三回言うと、帰依体が生じる。これは是非注意してください、非常に重要なことです。

 

 

(中文)五、行持皈依学处——别学共学  

皈依之后,要好好保护皈依体。皈依体好不容易才生起来,但破坏却是很容易。所以下面的戒条千万要注意:皈依佛之后,宁可牺牲生命,也不要去皈依天魔外道。天魔外道的神庙一求一拜,皈依体就破了,这很严重。受了皈依的人,死掉之后,下一辈子决定生天人;但皈依体破了,信了邪神,命终之后就下恶道去受苦了,何时能出来,说不清的时候。这样一比较,情愿把生命牺牲掉,也不要去皈依天魔外道。很多人皈依之后又去相信外道,前面说过,不但皈依体破了,而且要下近无间地狱受苦的。

(日文)五、帰依を学ぶ処の行持―――別学共学

帰依した後、よく帰依体を保護すること。帰依体はやっと起きているけれども、破壊するのは非常に容易です。ですから、下記の戒条を是非注意してください:仏に帰依した後、命を犠牲にしても、天魔外道に帰依しません。天魔外道の神社に頼みしたり、拝みしたり、そうすると、帰依体が破壊されてしまいます!これはとても厳重なことになります。帰依を受けた人は、死んだ後、来世は天人に転生することに決まってある。但し、帰依体が破壊されると、邪神を信じると、命終後悪道に落ち、苦しい目にあうことになる、いつ出て来られるのも言えません。こういうふうに比較すると、天魔外道を帰依することより命を犠牲すること。但し、大勢の人は帰依してから外道を信じて行くことがあります、この前言いましたが、帰依体を破壊するだけではなく、近無間地獄まで苦しい目にあうことになります。

 

 

(中文)皈依法之后,宁可牺牲生命,也不要相信外道的书、气功师的书等等。更不要去练。

(日文)法を帰依した後、命を犠牲にしても、外道の本、気功師の本等を信じません。練習することもしてはいけません。

 

 

(中文)皈依僧之后,宁可牺牲生命,也不要听信外道人的话,不要上他们的当。

(日文)僧を帰依した後、命を犠牲にしても、外道人の話を信じません、彼らから騙されないように。

 

 

(中文)皈依之后,一定不能说自己不信佛,不信三宝的话,不管是跟小孩子开玩笑,或有人用刀逼你说,都不能说,否则皈依体同样也破坏了。

(日文)帰依した後、自分が仏を信じません?三宝を信じませんという話を必ず言わないように。子供と冗談をすることにしても、或はナイフで脅されても、言わないように。そうしないと、帰依体も同様に破壊されてしまいます。

 

 

(中文)皈依三宝之后该怎么做,这是讲行持了。有两种:一、别学,二、共学。

先讲别学:一、皈依佛,永不皈依天神外道,二、皈依法,不恼害一切众生,三、皈依僧,不与外道共住。

(日文)三宝に帰依した後にどうすればいいでしょうか?これから行持をします。二種類があります:一、別々に学ぶ、二、共同で学ぶ

別々に学ぶについて先に説明します:一、帰依仏、永遠に天神外道に帰依しません。二、帰依法、一切衆生を害しません。三、帰依僧、外道と共住しません。

 

 

(中文)皈依三宝前面说过,整个的一切苦难,只有三宝才能救,而你现在又去求天神外道了,那不是跟自己皈依三宝时所发的愿不一样了?当然皈依体就破了。

(日文)三宝に帰依することについて、前にも言いましたが、全ての一切の苦難を救いられるのが三宝しかいません。なのに、今また天神外道に頼る、それなら、三宝に帰依する時に自己が発願したことと違うではないでしょうか?当然帰依体は破れてしまいます。

 

 

(中文)皈依法,法是什么?是度脱一切众生的,以大悲为体的,我们皈依法之后,就要发心度众生,纵即现在没有能力,还度不了,怎能反去恼害,甚至杀害呢?当然是不行的。

(日文)帰依法、法は何でしょうか?一切衆生を度脱するもので、大悲を体にするもの。私達は法を帰依した後、たとえ現在能力が持ってなく、救うことが出来なくても衆生を救う発心を生じします、どうして逆に害を与えるとか、更に殺害するのでしょうか?当然これはやっていけないことです。

 

 

(中文)皈依僧,就不能与外道共住。尤其是那些不信三宝、毁谤三宝的那些外道,不能跟他们太亲密,一起住。有人就提出来了,他的父母是信外道的,怎么办呢?总不能跟自己父母分家吧,何况有些人还是靠父母生活的,那么就在信仰上划个界线,不要和合就是了。不过,可以劝父母信佛嘛,如果劝信三宝了,那真是大孝,大报恩了。实际上,跟外道共住,确是有危险性的。

(日文)僧に帰依したら、外道と共住してはいけません。特に三宝を信じない、三宝を中傷(誹謗)する外道と親密にしてはいけません、一緒に住んではいけません。ある人は彼の親方が外道を信じているので、どうすればいいでしょうか?という質問が出てきます、親方と分家するわけでもないし、ましてある人々は親方に頼って生活しています。それでは、信仰の上に境界線を画いて、和合であればそれで良いです。一方、親方に仏の信奉を勧めて、もし三宝を信奉することになりましたら、それが大孝行、大報恩になります。実際は、外道と共住することは、確かに危険性があります。

 

 

(中文)这里产生了个问题,假使一条牛啦,马啦,打了它之后,是否失皈依了?或者开宗教会议,五大宗教徒都有,在开会的时候,在同一宾馆里住,不是也共住了吗?是不是失皈依呢?这些问题,印度和藏地有多种说法,或说六条,或说九条,犯了要失皈依,这六条也好,九条也好,都包的有这三项。

(日文)ここで一つ問題が出てきます。例えば一匹の牛又は馬を殴ったら、帰依を失いますか?或は宗教会議の時に、五大宗教徒がいって、会議の時に、同じホテルに住んでいて、共住にもなるでしょうか?それで帰依を失いますか?これらの問題について、インドとチベットは色んな言い方があります、六条を言っていることもある、九条を言っていることもある、犯したら帰依がなくなります。この六条や、九条や、三つの項目を含まれています。

 

 

(中文)祖师的抉择,说有两条是决定不能犯的,其它的呢,犯了之后呢,只是与皈依学处有违犯,不是失去皈依的因,不是当下失皈依。哪两条是不能犯的呢?

(日文)宗大師の選択から言うと、二つのことを絶対犯してはいけません、その他について、犯したら、帰依の学ぶ処と犯したことになる、帰依の因を失うではなく、即刻に帰依を失うことではありません。果たして犯してはいけない二つの事とは何でしょうか?

 

 

(中文)一、自己把佛法僧舍掉了,不皈依了,不管是什么原因,开玩笑,乃至命难,都不能说,一说舍,就失皈依。

(日文)一、自己は仏法僧を捨てって、帰依せず、どのような原因にもかかわらず、冗談でも、ひいては命難、言ってはいけません。言うと捨てることになる、帰依を失います。

 

 

(中文)二、虽没有说舍皈依,但认为有外道师、或外道的经书,很了不起,与佛、佛经相等,也失皈依。因初皈依时,认为只有三宝是最高无等的。

(日文)二、帰依を捨てると言っていないが、外道師、或は外道の教文は素晴らしい、仏又は仏教典と相当と思い込んで、帰依も失います。なぜなら初帰依の時、三宝は唯一最高無等の物と思いましたから。

 

 

(中文)前面别学,是在三宝面前,分别应如何作。如皈依佛,应止哪些不能作,皈依法,哪些事不应作,皈依僧,哪些事不应作等。共学则三宝一体的看,在总的三宝面前该怎么作。共学有六:

(日文)この前別学について、三宝に対して、別々に何をやれば良いかということです。例えば、仏に帰依すると、どれがやってはいけません、即ち止めるべきはどれ。法に帰依すると、どれがやってはいけません。僧を帰依すると、どれがやってはいけません。共学とは、三宝を一体として、総の三宝の前にどうすればいいということ、共学は六つのことがあります。

 

 

(中文)一、常念三宝殊胜功德。《论》里广大地详论。佛的功德里边,分身功德,语功德,意功德,及佛所作事业的功德。法的功德,僧的功德,多多思惟,能发强大净心。

(日文)一、常に三宝の素晴らしい功徳を思うこと。《論》に広く詳細に論じています。仏陀の功徳の中に、身功徳、語功徳、意功徳、及び仏陀の事業の功徳が分けてあります。法の功徳、僧の功徳をよく思惟して、強大な清浄な心を引き起こる事が出来ます。

 

 

(中文)二、常念三宝大恩,勤修供养。我们皈依三宝之后,得到三宝大力加持。现前的人身也是过去世皈依三宝,知道发愿求增上生,更加持戒,这些功德具备,才能感到这个暇满的人身,可以听学佛法。三宝的恩,千万不要忘掉,要报三宝的恩。

(日文)二、常に三宝の大恩を思うこと、勤修供養。私達は三宝に帰依した後、三宝の大力加持を頂いています。現前の人身も過去世代に三宝に帰依、発願、増上生の求めを知る、更に持戒、これらの功徳が備わって、この暇満人身を得られる、そして仏法を聴聞?修学することが出来るようになります。三宝の恩、くれぐれも忘れないように、三宝の恩を報いるようにします。

 

(中文)「凡诸受用,先当以事、以意恭敬供养」,凡是自己受用的,不管是吃的、用的,穿的等等,都应当以事——实物供在佛像前,以意——以恭敬报恩的心奉上供养,或家里没设佛堂,以心观想而供。初皈依的,你们皈依三宝之后,吃饭之前,先把饭菜筷匙放好,合掌,恭恭敬敬地念「嗡、阿、吽」三次。衣服也是,新的衣服未穿之前,先供在佛前供桌上,或者捧在手上,念「嗡、阿、吽」三次。用的东西,不管是温水瓶也好,其他新的家具、用品,没用之前,先供养三宝,念「嗡阿吽」三遍。

(日文)「凡諸受用、先に事として、意として恭しく供養」、全て自己の受用しているものについて、食べるもの、使うもの、着るものに関わらず、事として-—実物として仏像の前に供養する、意として―――恭しく報恩の心で供養を献上する。或は家に仏堂が設けてなければ、心で思いながら供養を行うこと。初帰依の人は、三宝に帰依した後、食事する前に、先にご飯食器を並んで、合掌、恭しく「オン ア ホン」を三回唱える。服もそうです、新服を着る前に、仏前の供物台に供養、或は手に持って、「オン ア ホン」を三回唱える。使うもの、例え温水瓶でも、その他の新家具でも、用品でも、使う前に、先に三宝を供養、「オン ア ホン」を三回唱えること。

 

 

(中文)这是最简单的供养法,但功效极大。「吽」字的力量,可以把这供品中不干净的完全去掉,化成最干净的。「阿」字的功德,把这世间不殊胜的供品转成最殊胜的色香味触。然后「嗡」字的功德,把这有限的供品,转化成无量无边的普贤功德海云,遍满虚空的那么多。

(日文)これは最も簡単な供養法ですが、効能は極大。「ホン」この字の力は、供え物の中の不清潔な物を完全に除去、最も清潔に転化する。「ア」この字の功徳は、この世間の素晴らしくない供え物を最も素晴らしい色香味触に転化する。それから「オン」の字の功徳は、この限られた供え物を無量無辺の普賢功徳海云、虚空いっぱいのように転化する。

 

 

(中文)三、常念悲心,为使一切众生离苦得乐,随分随力,使其他有情也能受皈依。

(日文)三、常に悲心を思うこと、あらゆる衆生は苦から離れ楽が得られる為に、随分随力、その他有情も帰依が受けられるようにします。

 

 

(中文)四、凡有兴作,或有所求,皆先呈白现前三宝。要作什么事情,或者有什么求愿,先要呈前现前三宝,一般指依止师啰,是否可以这样做。总之,一切依三宝的教导去做,不要依不顺三宝的世俗,或邪道的方式去做。「除世常事」者,一般经常做的事情就不必要了,譬如说:「我上班去了」,「我吃饭了」,就不必呈白师父了。

(日文)四、凡そ興すこと、或は頼みがあれば、皆先に現前三宝を申し上げます。どんなことをやりたくても、或はどんな願いがあっても、先に現前三宝を申し上げます、一般には依止師にこういう風にしても良いでしょうかを示します。要するに、すべてのことを三宝の教え通りにします、三宝を沿わない世俗、或は邪道の方式を従わずこと。「除正常事」者、一般的によくやっていること、例えば、「会社へ行きます」、「戴きます」など、師匠に申し上げる必要はありません。

 

 

(中文)五、了知三宝殊胜利益,晨夕各作三次皈依。皈依三宝能净罪障,《集学论》云:「若有皈依佛,彼不往恶趣,舍弃人身已,彼当得天身。」皈依法、僧,亦同样说。能集广大福,人与非人不能作难,随欲作何种如法事业,先供养皈依三宝,祈求则易成就,乃至究竟能成佛,有如是等多种利益,故晨夕各作三次皈依。没有规定早晚课,就用皈依,再加四宏誓愿,晨夕各三次,这是最简单的早晚课了。

(日文)五、三宝の殊勝な利益を了解する為、朝晩各三回に帰依すること。三宝に帰依することによって罪障を洗浄します。《集学論》云:「帰依仏であれば、悪道へ行かない、自己人身を捨てたら、天身が得られる」。帰依法、僧、も同様。広大な福が集められ、人と非人とも難を作れません。如法事業をする場合、先に三宝に帰依供養、願いすると、成就しやすい、ひいては仏になります。このように多種利益がある、ですから朝晩各三回に帰依すること。朝晩の読経(学課)が規定してなければ、帰依を使う、更に四弘誓願を加えて、朝晩各三回、これは最も簡単な朝晩学課です。

 

 

(中文)六、守护三宝,如人爱命,下至戏笑,乃至命难因缘,亦不舍离三宝。前面已讲过,我们要保护好皈依体,比自己生命还要重要的看待。一天到晚,要把皈依三宝的念头记住,不要忘失,更不能舍掉。对佛弟子来说,三宝是最重要的,身外财产,到命终时,一分也带不走,亲戚朋友,一个也带不走,连自己的身体也没法带走。只有三宝的功德可以牢牢跟着你,不管你到哪里,总是跟你不舍离的。这是对我们切身利益的事情,一定要很慎重的对待。

(日文)六、人が命を愛するように三宝を守護すること、冗談まで、ひいては命難因縁でも三宝を捨てず離れず。この前も言いましたが、帰依体をよく保護して、自分の命より大切に扱わなければなりません。朝から晩まで一日、三宝に帰依の念頭を覚えること、忘れること、そして捨てることがないようにします。仏弟子にとって、三宝は最も重要な物である、命終の時に身外の財産は一円も連れて行けません、親戚友人1人も連れて行けません、そして自分のお体も連れて行くことが出来ません。三宝の功徳だけずっと貴方について行ける、どこへ行っても、貴方と離れることはありません。これは私達対して切実な利益なので、必ず慎重的に扱うべきです。

 

 

(中文)佛是皈依大师,僧是皈依正行助伴,正皈依的核心是法宝。能依法宝,才能解脱怖畏苦难。故初修业人,应当善巧善不善业及其果的差别,如理取舍而修正行,能明白业果。《论》说:「若于业果,或决定相,或无欺罔,获定解者,是为一切内佛弟子所有正见,赞为一切白法根本。」皈依三宝之后,接着应做的,就是明白善恶业果了。希望大家于此努力。

(日文)仏陀は帰依の大師匠、僧は帰依正行する時に助けて頂いています、正帰依の核心は法宝です。法宝に頼って、畏怖苦難から解脱ことが出来ます。ですから初修業の人は、善不善業及びその果の差別を善巧し、如理取捨、正行を修行する、そして業果を分かって来ます。《論》から「業果に対し、決定相、或は誤魔化すこと無く、決定の見解を獲得者は、内仏弟子のあらゆる正見であって、白法の根本を讃することになる」と言いました。三宝に帰依した後、続いてやるべきことは、善悪業果を分かること。ここに是非努力して頂きたい。

 

 

(中文)恭敬法宝注意事项

《金刚经》上说:“凡经典所在之处,即为有佛。”所以经典是佛的法身所在之处,助印经书、流通经书、阅读经书、恭敬经书皆可启发无限智慧,但若对经书不恭敬,也能令堕不如意处。下面略举数条,以供参考。

(日文)法宝を恭敬する注意事項

《金刚经》から“経典が所在の所、即ち仏がいらっしゃる”と言われています。ですから御経典は仏の法身所在である。経書の印刷を供養したり、経書を流通したり、経書を読んだり、経書を恭敬することによって無限の知恵を啓発することが出来ます。但しもし経書に対して恭敬しなければ、意に適わずところを落ちることが出来。下記はわずかの数条を挙げ、御参考してください。

 

 

(中文)一、佛经法宝须放置于洁净高燥之处。

(日文)一、仏経法宝は清潔な、高い、乾燥な処で供養すること。

 

 

(中文)二、佛经法宝所在之处不可做诸污秽行为。

(日文)二、仏経法宝の所在処に諸穢れ不潔な行為をしてはいけません。

 

 

(中文)三、佛经法宝不可露置。不可跨越践踏。不可与秽物杂置。亦不可安置在床上、坐椅上、拜垫上等不净处。

(日文)三、仏経法宝は露わな処に置く事をしてはいけません。跨ること、踏みつけることをしてはいけません。汚れ物と混雑置いてはいけません。ペット、椅子、跪くクッションに置いてもいけません。

 

(中文)四、佛经法宝须置于其它书籍之上。其层次大致如下:原文经典,经典浅释,一般佛书,圣贤言论,教化书籍。

(日文)四、仏経法宝をその他の書籍の上に置くこと。その置き方の順番階層は大体下記のように:原文経典、経典浅略釈、一般仏書、聖賢言論、教化書籍。

 

 

(中文)五、若书房和睡房是同一房间,睡觉时应用干净的布将经书盖上,且要安置在头的一边(限单身净房)。

(日文)五、もし書斎と寝室は同じ部屋であれば、寝る時にキレイな布で経書をカバーし、且つ頭の側に安置すること。(独身キレイな部屋を限る)

 

 

(中文)六、佛经法宝须用双手捧。携提须高于脐之上。 不可挟于腋下。

(日文)六、仏経法宝を両手で煽て上げること。提げる場合、へそのうえを超えること。わきの下に挟まないこと。

 

 

(中文)七、手捧经书经过佛像,及遇大德上座等,以上举经书为礼。

(日文)七、手で経書を煽て上げって、仏像を経る時に、及び大徳上座を会った時に、経書の挙げを礼とする。

 

 

(中文)八、阅读佛经,须先净手。若中间手触不净之物,如脐以下衣,均须毛巾揩手令净。

(日文)八、仏経を読む時、先に手をキレイにすること。もしこの間に不潔なものを触ったら、例えば臍以下の衣服、タオルで手をキレイに拭うこと。

 

(中文)九、阅读佛经应专注一心。若有杂念应合上佛经,待念去再阅。因事停阅亦应合上。

(日文)九、仏経を読む時、もっぱら心を注ぐこと。雑念があれば仏経を閉じて、念を去ってから再び読みます。用事が有る時読まずに在った時にも閉じるべき。

 

 

(中文)十、对经如对佛,不得戏笑。不得对经谈说世事,讲说杂话,或边吃东西边看经书。

(日文)十、御経に対して仏に対すると同じ、遊んではいけません。世事を論議してはいけません、雑談を話したり、或はものを食べながら御経を読むことをしてはいけません。

 

 

(中文)十一、佛经上不得涂写。

(日文)十一、仏経にはやたらに塗ったり書いたりしてはいけません。

 

 

(中文)十二、不得口吹经上尘,以专用净布拭去。

(日文)十二、口で経書上にある埃を吹いてはいけません、専用の浄布で拭くこと。

 

 

(中文)十三、经案上不可放置杂物。外书等不可放于内典之上。不得案上卷帙纵横失次。

(日文)十三、御経を安置する机に雑物を置いてはいけません。外書等内典の上に置いてはいけません。机の上の書籍が縦横失度にすることをしてはいけません。

 

 

(中文)十四、不可躺着看经。

(日文)十四、体を横になって御経を読んではいけません。

 

 

(中文)十五、佛经法宝不可烧毁,若有损坏应速修补。 若自己不阅,应转送他人广加流传。不可不加爱惜,又不肯流传。

(日文)十五、仏経法宝を焼却してはいけません、損害があれば速やかに修繕すること。もし自分が読まなければ、人に転送して広く伝わるようにするべき。大切にせずに、また広く伝わらないようにしてはいけません。

 

 

(中文)十六、佛经法宝不可执此轻彼,愚迷毁谤。

(日文)十六、仏経法宝に、これを重視し彼を軽視するとか、愚昧誹謗ということをしてはいけません。

 

 

(中文)十七、佛经法宝不可货卖,质当取利。

(日文)十七、仏経法宝は品物として売ってはいけません、利益を儲けてはいけません。

 

 

(中文)十八、佛经法宝不可断章取义,增删伪乱。

(日文)十八、仏経法宝に対して、文章や話の前後の意味を顧みずに、自分に都合のよい部分だけを引用することをしてはいけません、書き加えたり削ったり偽造混乱させてはいけません。

 

 

(中文)凡是佛经法宝,均应恭敬如佛。不恭敬法宝,即不恭敬佛。以自三门,毁谤三宝。造作罪业,与出佛身血等。“亦当堕于无间地狱,千万亿劫,求出无期”。切记此一经文,恭敬三宝,恭敬经典。

(日文)およそ仏経法宝に対して、全て仏のように恭敬しなければなりません。法宝を恭敬しなければ、仏を恭敬してないようです。自己三門で、三宝を誹謗とのこと。罪業を作り、仏身出血と相当。“無間地獄に転落、千万億劫、救出無期。”この経文を是非覚えてください、三宝を恭敬致します、経典を恭敬致します。